2013年05月

施術側と患者側との相性はよく言われること。
相性とか治療が合わないという言い方は、私自身あまり好きではない。
多くの場合、治療家側がうまく結果につなげられないということに拠ると思っている。
あとは、患者側が過度に治療家に依存していたり、奇跡の一発を望んでいたりということも少しあると思います。

ただ、双方の人間性の相性はまた別です。
ここ1年、以前より積極的にバッチフラワーレメディーを使っています。
で、先日気が付いたのが2本だけ開封してないボトルがありました。

マスタード
ビーチ

いつかは使う時来るでしょうが、この一年使ってないということは、このタイプの患者さんが少ないということ。
お互いが共鳴しないので縁ができないのでしょう。

「マスタード」は、浮き沈みが激しく訳の分からない不安や憂鬱がやってきて無気力になる人。
ある方が、「こういう人は気力がなくって治療に来れないんじゃないか?」って仰られて「なるほど」と思いました。
たしかに変わった施術方針ですし、気楽に受けれる感じではないので無気力な人は来れないですねぇ。
私自身は「這ってでも来い」って思ってますけど。
「ビーチ」は、自己正当化が強く偏狭な人。
私が最も「メンドクセェ」と思うタイプ。
話し聞かない人は「お帰りはアチラです」って言いたくなりますからねぇ。

誰でもウェルカムとは思ってないですけど、できるだけ幅広く対応したいとは常々思ってます。
でも、まだまだこういうところがあるんですねぇと。
反省というほどではないですが、自分に使ってるわけでもないレメディで自分が見えて面白いです。

先日家族がある食事会で遭遇したことです。
講演会の懇親パーティーだったんですが、そこのレストランは無農薬無肥料の野菜を使って美味しい料理を出してくれるところです。菜食のレストランではないですが、野菜はもちろん肉魚から調味料に至るまで「そこまでするのか」というくらい気を使われています。
で、そこで隣り合った方が「何も食べられない(食べられるものがない)」のだそう。
聞けば、三ヶ月ほど前から「ローフード」に切り替えたんだと。
いわゆる、ほぼ非加熱の食事ですね。
ナチュラルハイジーンなんかが有名です。
初めて三ヶ月くらいだとどの辺りを妥協していいか分かんないでしょうから、「あれもダメ、コレもダメ」になりがち。
疲れちゃいそうですが、この数カ月が水の泡と化すような気になるのも分からないでもないですね。
実際疲れて気力が無さそうだったそうです。
「なにかいい変化ありました?」
と尋ねたら、一言
「体が冷えました」
だそうです。
お気の毒に。
典型的な失敗例ですねぇ。

ナチュラルハイジーンというものがいけないわけじゃないんですよ。
ただ、基本生食なので身体が陰性に傾くんですね。
もとが元気な人や陽の体質の人は意外とうまく入れますが、陰性が強くて体調が良くないとこの方のようになります。
だいたい食事変えようと思ったんぐらいですから体調不良あったでしょうし。
食事以外で陰に傾きすぎないようにしたりしながらもう少し頑張ればどこかで陽性に反転して元気になると思いますが、その為にもこの手のことをやるにはある程度の知識を身につけて始めないと痛い目にあうことも多いです。
誰が決めたか意外と食の陰陽は馬鹿にできない時があります。
人間も含め生物にとって食が与える影響はとても大きいので、食を変えるということは大きな意味があるのですが。
急激な変化というものはいつの世界のどの世界も心も身体も望まないのです。
そしていくら影響が大きいといっても、ライフスタイルの中の食があるのです。
悪い食なりにできているライフスタイルを食だけ変えたら別に歪が起きるのは当たり前です。
その辺りの皮膚感覚(見えない変化を感じ取る力)が鈍いからこういうことになってしまうのです。
そういう意味ではナチュラルハイジーンよりマクロビオティックのほうがライフスタイル全般に提唱されているぶん分があるでしょうか。
どういう食養をやるにしても、それに相応したライフスタイルというものを見つめてやらないといけないということです。
心身とも内面外面、大自然、色んな物を感じ取る力をつけてやらないと本当の変化は生まれないどころか辛くて挫折して終わり、
「私には合わなかった」
という捨てゼリフを残し乱れた生活へ帰っていくことになります。

だって一日青汁一杯で元気に生きてる人いるんですから。

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腰痛持ちであったりすると、定期的に痛みがやって来る方多いです。
腰痛にかぎらずなかなか身体って頑固というか治ってくれなくって、私のような凡人治療家は日々心のなかが格闘してます。
こういう事を繰り返しおこらなくなったら治癒したといえるのでしょう。

最近は重症な方(にみえる、凄い辛そう痛そうとか・・・)を診る機会はないんですが、定期的に来られてる方をみてるとですね。
身体が治癒・・・特に大きな症状があるわけじゃないのでこの言葉は適切ではないかもしれませんが。
一応、身体が良い方向と思われる形になりつつあるとですね。
そのての話を私がよくするということもあるんですが、ご自身の心の本質部分を語られる事が多いように思うんです。
そしてだいたいそういうお話を自らし始めてから急速に身体が変化される方が多いのです。

サーノ博士も腰痛は怒りであるといってましたが、心の問題というものは身体に影響します。
その心の奥底の自分も忘れてるようなこと、見ないようにしていたことを見つめると治癒に向かうのでしょうか。
それは、身体が変化に反応して気づくようになったのか?
体の変化に心がなにか反応したからなのか?
心の問題ですべての病気を片付けるのは違うと思うが、自分の内側をきちんと感じ、どう生きていくべきか心が気がつくと本質を見るようになる。
そして心も体の変化を受け入れて自らも変化するようになる。
悪い意味でのホメオスタシスが壊れるのかもしれない。

結局患者さん自身の気づきが全てである。
私たちは、お手伝いするしか出来ないのである。
「我ただ包帯するのみ」
実際はあーでもないこーでもないとグズグズやってますけど

整体と言う仕事をしながら、実は真っ直ぐにするということにはあまり拘らないでやっています。
別に少数派ではなく意外とそういう人は多いと思います。
結果的にそうなったらいいなぁくらいでしょうか

でもここ何ヶ月かはちょっとそういうことを意識しながらやってます。
まぁちょっとやってすぐ真っ直ぐになるわけじゃないんですけどね。
歪むにもそれなりに理由があるわけで、身体がいろいろ折り合いつけて収まった形が歪んでるともいえるわけで。
そういう歪んでいたい身体の原因をすこしずつ取りながら真っ直ぐに向けていくとですね。
私の施術の場合で、2週に一回を一年くらいで、だいたい真っ直ぐな形に定着するんですね。
コレは私がそう思うだけか?
治療家は皆そう感じてるのか?
治療後の患者さんの表情がいいように思うんです。
実際気持ちがいいといわれる方も多いですし(マッサージとかと質的に違う)。
真っ直ぐにするといってもまっすぐに見えるようにするんじゃなく、筋肉のトーヌスをできるだけ正常と思われるようにして圧痛点もできるだけ消していって、無理ない状態にしながらやるわけですが。
そういう状態にすると真っ直ぐになりたいのかな身体はと思うのです。
野口整体で言う体癖や均整法でいう十二種の体型。
コレも真っ直ぐ且つ重心が真ん中にある中で、揺らぎの範囲でおこる癖というか個性であるべきなのかもしれないと。
そう感じるこの頃です。

機能神経学なんてやたら難しい世界をお勉強することになりまして。
脳みそのリミットを超える講義にメルトダウンしてますが・・・。
今時はこの表現しないほうがいいのか?
ともかく、この先どうなるかという感じで御座います
ただ、HOW TO 物ではなく、じっくりお勉強的なのはいいかなと思ってまして。
明日から使える~シリーズはオモロイですが、後に残らないこと多いですから。
治療法云々というより、新しい診方考え方が、今までのものにプラスされていくという感じでございます。

詳細はあんま書けませんが。

講義の最後、私一番前にいたんでモデルでチョコチョコッと実技っぽいことして頂きまして。
例えば姿勢とか、足関節とか、上肢の挙上とかして(他にもありましたが)。
左脳に何かうまく酸素が行き渡ってない可能性
身体の左側の交感神経の興奮
があるかも知れないというみかたができる・・・と。
胸郭あたりを触診してこのレベルの制限をとって肺に空気が十分送り込まれて脳へ血液と酸素を送るということを試みる。
立位で軽くスラストをかけられ
「キャリックはもっと鋭くバキッていくんですが、僕は下手だから」
全く御謙遜を
受けた私が分かります
コレはこの流れで、コレが正しいとかとかいう話ではなくこういうものを検査してこういう事を考えこうアプローチしてみるというお話だと思います。

で、こんなことを講座の復習しながら思い出してですね。
わたし検査で、患者さんを立位で肩の高さや骨盤の高さ膝で、前後左右から押して重心のバランスをみたりしますが、重心のズレや脊椎レベルの反射くらいは気にしていたんですが、押すという入力に対して脳がどう反応しているかということを考えるとまた違ったものが見えてくるかと気が付いた次第でございます。
といえど、それが脳のなかで自動化されて臨床に役立つまではまだ時間がかかります。
これもまさに機能神経学

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