2009年01月

HVLAというタイプのポキポキ音を伴う矯正
危険かどうかは別にして、怖いと感じる人がいるのは確かです。
無痛治療、ソフトな治療というものを売りにしている治療家が増えてきているのから見ても、これからもHVLAの矯正は少数派になるのかもしれません

世の中のニーズに合わせている場合や、ポリシーがあってやらないといわれるのは一向に構わないわけです。
何よりいい治療をするのが一番なのですから。
ただ、カイロプラクティックを習ってカイロで看板を上げていながら、
「当院では、ポキポキするような危険な手技はしません」
といっている方。
こういう方は、どう考えているのか疑問に思うことがあります。

私のスタイルは私のスタイルでしかないので、他の方と比較できるものではありません。
しかし、私個人の経験では、HVLAの矯正が他の技法より効果を発揮する場合があると感じています。
もちろん、筋膜リリース的な方法や筋エネルギーなどの方がうまくいく場合も経験しています。
まあ、いわゆるケースバイケースなわけです。

私自身、ポキポキで事故はないですし、最初に勤めたカイロプラクティック院でも記憶にはないです。
80歳過ぎの方にアジャストメントした経験もあります。
よく高齢者に矯正すると、圧迫骨折の危険があるとかいいますが、人体が圧迫骨折が起きる方向と矯正の力が入る方向は全く違います。
注意深く適正な矯正がなされれば、骨粗しょう症であっても人間の力で骨を砕くところまでは行きません。
というか出来ません。
もちろん、他で事故の話も聞いた事ありますから、全く安全だとはいうつもりもないです。
安全で誰でも出来る簡単なものなら、勉強も練習も必要ないですから。

何がいいたいかというと、HVLAの矯正を習ったはずなのに否定している人の多くに、HVLAの矯正が出来ない人が多いのです。
それだから他の技法を一生懸命習得するということはいいのですが、実際、小さい力でジワッとした手技の方が効かす為には、HVLA以上に精妙な加減が必要だと感じています。
矯正が出来ないということは、その方の触診感覚が未発達ということです。
その感覚で他の技法を学んでも・・・
表面的な変化が起きてもすぐ戻ってしまう手技しか出来ないと思います。
当然ですが、簡単に見える手技が簡単ではないです。
骨盤でも
「ハイそろいましたよ」
立って~歩いて~もう一度寝るともう歪んでたりします。

痛みの少ないジワッとした力は問題がおきていても気づきにくかったりします。
静かな治療が安全などというのは、どうしたらいえるのか?
私には分りません。
カイロの矯正は靭帯を傷めやすいといいながら、患者さんにグイグイストレッチやっている人を見ると???
「靭帯伸びますよ」
と言いたくなります。

未熟な手技はたとえ簡単なマッサージでもポキポキでも危険だと思います。

手のイボがほぼなくなって残り2個くらい。
それも小さくて、よく見ないと分らないくらいでしたから、気にとめることなくいました。

5年ほど前でしょうか。
なんかイボが育ってきたような。
その後、あれよあれよという間に、はじめて出来たイボそっくりにデカイのが出来上がり。
そして、ちっちゃいのもポツポツ。

「あらまぁ」
とは思いましたけど。
腸の改善で治るのは分っているので、その方法を考えました。

ゲルソン療法というがん治療を主に難病の人がやる食養生主体の治療法があります。
ほぼ完全菜食で、塩気も取りません。
コーヒーの浣腸もしたり、徹底的に腸を治します。
新谷 弘美 博士のコーヒーエネマもこの辺からアイディアを頂いているのだと思います。
エドガーケイシーかもしれません。

ゲルソン療法では人参ジュースを大量に飲ませます。
「殺す気かっ!!」
というくらいに(笑)
全くのゲルソン療法は大変なので、ジュースだけ真似しよう。
腸の問題で治るということが正しいならこれで治るはず。

生ジュースは大変なので市販の野菜ジュースを1日1リットル。
カゴメさんにはお世話になりました。
種類が豊富なので味を変えて楽しみました。
ただ、これでは野菜や果物の成分で取れないものあります。
市販のジュースは加熱処理されているので、熱に弱い成分などは入っていません。
ビタミンや酵素、揮発性の高いファイトケミカルは抜けたり破壊されています。
マルチビタミンのサプリメント、野菜サラダや生の果物をバナナ1本分以上取ることで補いました。
食物繊維も足りてないので、海藻や根菜を多めにします。

で、どうなったか。
冷え性のときと前回のブツブツ、2回の腸改善のおかげか、3週間くらいから効果が出始めました。
たった2ヶ月。
今度は全て跡形もなく消失しました。

写真とって於けばよかったと思います。

腸は大事にしましょうね。

足の裏の反射区をモミモミしていて痛いところがあると、肝臓であったり、胃であったり、腰であったり。
それぞれ対応する臓器や身体の部位に問題がある可能性があります。

臨床的には、もう少し大まかにしか分らないものだと感じています。


肝臓の反射区に痛みがあるとします。
それは「右の季肋部あたりに何か問題があるかも知れない」程度にみます。
背骨をみます。
背骨の変位と臓器・症状を示してある「メリックチャート」の肝臓に関係するとこをみます。
キネシオロジーの筋肉テストをします。
内臓筋肉反射で対応する大胸筋の筋肉テストをします。
ツボの反応を見ます。
臓器に問題があると井穴にわりと反応が出るので、足の親指の爪のキワを刺激してみます。


他にもみますが、こんな形で色々な身体の反応をふまえて肝臓に何かあるなという結論を出します。
検査即治療に対応するところはそこを刺激し、他にその反応が消えるものがあれば、バッチやサプリ、アロマもいいと思います。

多角的にテストをして、他に引っかかってくるテストがない場合、足そのものの問題があることが多いです。
足には小さな骨がイッパイあります。
それが僅かですがズレてしまっている場合があります。
私のリフレクソロジーはかなり強めです。
ですが、だいたい同じ手順を2巡3巡すると痛みが消えていきます。
その時消えない痛みに、関節のズレが多いのです。
それで、関節のズレを矯正させた位置にして反射区を刺激すると痛くないわけです。

全体の治療の中でリフレクソロジーを組み込んでいる方は大丈夫でしょうが、リフレクソロジー一本でされている方は、少し意識してみるといいかもしれません。

こう仰る方が時々います。
知り合いの治療家で「そんなら死ね!」という過激なことを言う方がいました。
もちろん本気で言ってません。
その方の場合は、そのキャラがかなり個性的で許されているのですが、普通は問題になりますし、そこまで思うことはないのでそんなことは言いません。
もちろん死ぬ必要もありませんし。
「そんなら死ね!」というのは暴言ですが、その言わんとする意味は別なところにあります。。

全身が悪いといっても、本当に全身に及んだ症状であるという方はあまりいません。
だいたい4ヶ所以上症状があるともう全身になるようです。
膝・腰・肩・首みたいな感じです。
あっちもこっちもという表現にはなると思いますが、全身ではありません。
治療する側は、症状がたとえ膝1ヶ所であっても全身を診ながら治療しますが、どこに症状を出ているかという話では全身ではありません。
両膝が痛くても右と左では痛みかた痛む場所は同じではありません。
腰と肩が痛くてもその間の背中はなんともなかったりします。

「全部悪い!」と簡単に言われる方の特徴として、自分の身体にきちんと向き合っていないということがあります。
こういう方には、

「肩はどうですか?」
「肘はどうですか?」
「手首はどうですか?」
「手はどうですか?」
「指はどうですか?」
「腰はどうですか?」
「膝はどうですか?」
「頭痛はありますか?」
「耳鳴りはありますか?」
「お通じはどうですか?」
「朝と夜どちらが調子悪いですか?」
「他に調子悪いと感じるところありますか?」

思いつく限り事細かに尋ねます。

全部悪いと言ったけど、症状が全身ではない。
良いところもある。
良い時と悪い時がある。
調子悪いといっても、痛いとかダルイとか動かしにくい等、いろいろあるものだ。

というように、内面と語り合って気付いてもらうところから治療が始まります。
それをするとしないとでは、予後というか経過が違うように思います。
まるで分ってもらえない体が反旗を翻しているような感じさえします。

これは「全部悪い!」という方でなくても当てはまる話でもあります。
自分の身体が痛みや不調を通じて何を訴えているのか。
向き合ってみたらどうでしょう。

『感情地図』 キャロル・ライトバーガー
感情と器官はつながっているという考えです。
東洋医学には、昔からそういう考えがあるので、そこから引っぱって独自に再構築したのだと思います。

東洋医学の考えは、いわゆるストレス学説とは少し違っていて、
七情『喜・怒・憂・思・悲・驚・恐』という感情がそれぞれ臓器に収まると考えます。
そして、七情自体は悪いと考えず、過ぎると臓器を傷つけると考えます。
「怒り過ぎは肝を傷つける」などです。
面白いのは「喜びすぎは心を傷つける」と、日常我々がいい感情だと思っているものも、度が過ぎてはいけないといっているところです。
確かに、はしゃぎ過ぎた子供が後で具合悪くなるのを見ると、納得できる気がします。

『感情地図』 キャロル・ライトバーガー では、臓器は西洋医学的解剖に見ていて、感情と臓器の関係も細かくなっています。
ただ、ネガティブな感情面しか書かれていないのはちょっと残念な感じです。

西洋医学的には、記憶や思考、感情は、脳が司っている事になっています。
しかし、非科学的かもしれませんが、東洋医学や感情地図のアイディアを見れば、臓器が感情の一部をつかさどり、また、その感情にかかわる記憶を有していると見ても、全くおかしいとは言えないように思います。
元は同じ細胞が、60兆個集まってそれぞれ役割に応じて変化して、互いに調和しながら生きているとしたら、個々の記憶を共有してもおかしくないと。
臓器移植された方が、好みや性格に変化が起こるということがしばしば見られることをみても、そんな気がします。

心因性が身体症状にかかわっていると思われる場合、そのブロックが身体のどこにあるか探しながらの治療もあるということです。

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